日新館

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日新館ぎゃらりい

現在は家庭的な、こじんまりとしたお宿として多くのお客様にご愛顧いただいております当館ですが、終戦の頃までは草津でも一、二を争う規模の大旅館として栄えておりました。
当時を物語る名残として、当館には現在も数々の名士の書や絵画、またその時代の当主が収集したものと思われる美術品類(中にはがらくたと思われるものも多々ありますが)、さらにはその頃に館内で使用していた道具類が多数残されており、館内のところどころに展示して、お客様にお楽しみいただいております。
この『日新館ぎゃらりい』では、それらの品々の一部をご紹介致しますので、是非ごゆっくりご覧になっていらして下さい。作者がはっきりしているものについては、プロフィールや由来などを、分かる範囲で記載しておりますので、そちらもあわせてご参照ください。
しかし、特に『古道具・がらくたの部屋』においては、管理者の不勉強により、由来や時代などがまったく分からないものが数多くあります。もしこのページをご覧になって、それらの品々のルーツについて、何か手がかりをご存知の方がいらっしゃいましたら、メールもしくは直接のご来訪などでご指導いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。

※ご注意※
この「日新館ぎゃらりい」は、ホームページ上の一コーナーであり、実際の建物内にこれらの展示室はございません。
実際にご覧になりたい展示物がございましたら、ご来訪時にフロントまでお声をかけて下されば、ご案内致します。
(一部の展示物につきましては、客室内に展示しておりますので、時間によりご希望に添えない場合がございます。ご了承下さいませ)

絵画・木版・木彫りの間

喜多川月麿画『上州草津温泉略図』
喜多川月麿(きたがわ・つきまろ)生没年不詳

江戸時代末期の浮世絵師。喜多川歌麿の門人の中で最も優れた画才を持ち、美人風俗画、花鳥画、書の挿絵などで数多くの作品を残した。この画の中央には「湯安(日新館の旧号)」と書かれた道具箱が配されていることから、当館に来訪した際の浴客の姿を描いたものと推察される。
竹久夢二書・画『杜若(かきつばた)』
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)1884-1934

岡山県生まれ。藤島武二、鏑木清方らの影響を受け、目に哀愁をたたえた「夢二調美人画」を確立。感性豊かな叙情的表現は、絵はがき・封筒などのデザインにも用いられ、幅広い層に愛された。色紙の中央に一輪のかきつばたの絵が描かれ、全体で「かきつばた おもへば去年(こぞ)の古帽子」という夢二自作の句が記されている。
代田収一画『草津温泉 日新館』
代田収一(しろた・しゅういち)1880-1958

長野県生まれ。長野師範学校卒業後、故郷(現在の飯田市)の小学校にて教鞭を執る。明治末期に都新聞社に漫画記者として入社し、政治風刺漫画や小説の挿絵などを担当。「東京パック」などにも政治風刺漫画を寄稿している。色紙の絵は、1933年(昭和8)に刊行されたガイドブック『探勝漫画第二集 上州の温泉郷』(宮尾しげを、生方敏郎との共著)の挿絵として描かれたもの。
宮尾しげを画・色紙二点
宮尾しげを(みやお・しげお)1902-1982

東京都生まれ。1922年(大正11)に東京毎夕新聞社に入社、同紙で『漫画太郎』、『団子串助漫遊記』などの漫画を連載し人気を博す。以後も日本初の子供漫画専門作家として、数多くの単行本を刊行した。
田河水泡画『のらくろ』
田河水泡(たがわ・すいほう)1899-1989

東京都生まれ。1931年(昭和6)から講談社の『少年倶楽部』に『のらくろ』を連載。擬人化した犬を主人公に、軍隊での出世物語を描いたもので、軍国の世相を反映しながらも風刺の笑いがこめられ人気を博す。戦時中は休載したものの戦後続編が執筆され、1972年(昭和47)に全15巻が完結した。長谷川町子をはじめ弟子も多数輩出。
棟方志功画『雪に来てみごとな鳥の黙りゐる』
棟方志功(むなかた・しこう)1903-1975

青森県生まれ。原始美術にも似た力強い板画(志功は自らの木版画を『板画』と称していた)を制作し、民芸運動家から高く評価された。代表作に『弁財天妃の柵』、『大和し美(うるわ)し』、『釈迦十大弟子』などがある。
谷内六郎画『草津スキー教室』
谷内六郎(たにうち・ろくろう)1921-1981

東京都生まれ。初めは子供向けの漫画家として出発したが、挿絵作家に転身。『週刊新潮』の表紙絵を1956年(昭和31)の創刊時から死の直前まで執筆し続けた。晩年は障害者施設「ねむの木学園」で児童画教育にも尽力。色紙の絵は1963年(昭和38年)の来草時に当館の主人が夫人にスキーをお教えし、謝礼として頂いたもの。
木彫りの鷲
由来、年代等不明
木彫りの龍
由来、年代等不明
河東碧梧桐書/水木伸一画・ほとゝぎす掛軸
河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)の略歴は「書・古文書の間」をご覧下さい。
水木伸一(みずき・しんいち)1892 - 1978

愛媛県松山市生まれ。1908年大阪に出て肖像画を学ぶ。1910年に上京し太平洋画会で中村不折に学ぶ。1914年日本美術院の洋画部に参加、学生にデッサンを指導する。吉井勇など多くの文人と交流するなか、特に河東碧梧桐を父のように慕い、幾度も共に旅に出ている。この掛軸は、碧梧桐が「ほとゝぎす 川上へなき うつるあさの窓 あけて居る」との歌を記し、伸一が草津の名刹・光泉寺の薬師堂を描いたもの。
竹久夢二画『草津温泉小唄』絵はがき(初版)
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)の略歴は上記

馬御風が作詞した『草津小唄』(「書・古文書の間」にある御風の直筆詞もご覧下さい)をベースに、当時人気絶頂だった竹久夢二が1929年(昭和4)の草津来訪時に絵を描き下ろし、絵はがきとして発売されたもの。

書・古文書の間

『草津温泉記』美濃本(草津町指定文化財)
1672年(寛文12)草津の湯の効能に感動した藤原長治なる人が、自らの体験や土地の長老の話などを基に『草津温泉記』と題した入浴法や効能を記した書を編んで、光泉寺に奉納した。その後の1792年(享保14)に光泉寺を訪れた龍草という僧が、この書に感動し、全文を筆写して湯本安兵衛宿(現在の日新館)に1部を残した。藤原長治が著した原本は現存しないため、この写本が現存する草津温泉の入浴法に関する最も古い文献資料となっている。
河東碧梧桐書『日新館銘』
河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)1873-1937

中学時代から正岡子規に師事した俳人で、絵画的作風、印象明瞭の個性を持ち味に「俳句改革運動」に加わる。子規没後、『日本俳壇』を主宰。定型にとらわれず、自然主義に接近した「無中心論」を提唱し、子規門下の双璧であった高浜虚子と対立。晩年は書家としても名を馳せ、1921年(大正10)の来草時に当館の銘を揮毫された。
福島安正書『秋光鮮』
福島安正(ふくしま・やすまさ)1852-1919

信州松本生まれ。明治期の陸軍を代表する情報将校。語学力を買われて陸軍省に入り、参謀本部勤務と外国派遣を繰り返す。1892年(明治25)-93年、任地のベルリンから帰国するにあたり、シベリアを騎馬で単独横断して有名となった。日露戦争後男爵となり、1914年(大正3)に大将に進級した。
相馬御風書『草津小唄』
相馬御風(そうま・ぎょふう)1883-1950

新潟県生まれ。早稲田大学を拠点に自然主義文学の論陣を張り、『黎明期の文学』などを著す一方、三木露風らと共に口語詩推進の中心として活躍した。「都の西北」で始まる早稲田大学校歌の作詞者としても有名。1928年に作曲家・中山晋平と共に草津を訪れ、当地で今も歌い継がれる『草津小唄』を合作(御風作詞、晋平作曲)した。
竹久夢二書『山間思人』
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)1884-1934

岡山県生まれ。藤島武二、鏑木清方らの影響を受け、目に哀愁をたたえた「夢二調美人画」を確立。感性豊かな叙情的表現は、絵はがき・封筒などのデザインにも用いられ、幅広い層に愛された。名曲『宵待草』などを作詞するなど詩人としての評価も高く、詩画・詩歌集などの著作物は50を超える。
尾崎咢堂書『学遜志』
尾崎咢堂(おざき・がくどう、本名行雄)1858-1954

神奈川県生まれ。1890年(明治23)の第1回総選挙から連続25回の当選を果たし、文相、法相などを歴任。大正時代に犬養毅らと共に憲政擁護運動を指揮し、「憲政の神様」と称される。1939年(昭和14)以降は党に属さず、軍部の台頭、全体主義傾向への批判を展開した。
徳富蘇峰書『四時信興與人同』
徳富蘇峰(とくとみ・そほう)1863-1957

熊本県生まれ。民友社を設立し、『国民之友』、『国民新聞』で進歩的平民主義の論者として活躍したが日清戦争前後から国権主義に方向転換し、山県・桂内閣のブレーンとして活躍。また第二次大戦中は大日本言論報告会会長を務めたが、戦後公職追放に。弟は小説家の徳富蘆花。
中村不折書『青山白雲』
中村不折(なかむら・ふせつ)1866-1943

江戸生まれ。洋画を志してフランスに留学し、ジャン=ポール=ローランスに師事。帰国後は太平洋画会の代表作家として活躍。代表作に『春の渡し』がある。また六朝書道もよくし、生家(東京都台東区根岸)を書道博物館として収集した中国の書跡、石碑などを展示開放した。
比田井天来書『百家春』
比田井天来(ひだい・てんらい)1872-1939

長野県望月町(現佐久市)生まれ。早くから上京し漢学を学ぶが、やがて日下部鳴鶴の門に入り書道を学ぶ。古碑や法帖への造詣が深く、独学のために鎌倉建長寺の正統庵に独居。剛毛筆を使用した『天来書道』と呼ばれる斬新な書風を確立し、1912年(1937)書道界から初の帝国芸術院会員となった。
※出身地の長野県佐久市(旧望月町)には、市立の『天来記念館』があり、お孫さんの比田井和子様が館長を務められています。このたびメールにてご連絡を頂きましたので、ご紹介させて頂きます。ありがとうございました。
・ホームページ『天来書院』http://www.shodo.co.jp/tenrai/
・佐久市立天来記念館 http://www.shodo.co.jp/kinenkan/
佐久間象山書『望遠鏡中望月歌用阮雲臺韻』
佐久間象山(さくま・しょうざん)1811-1864

信州松代藩士の子として生まれ、朱子学、蘭学、砲術などを広く学び、老中の顧問として「海防八策」を唱える一方、江戸・神田に私塾『象山書院』を開いて吉田松陰、勝海舟らを指導。幕末に京都に渡り、公武合体・開国を説いて皇族、公家の間を奔走したが攘夷派の反発を受けて暗殺された。草津には1848年、松代藩の命を受けて研究のために来訪。白根山の硫黄を視察し、黒色火薬の原料として高く評価した。

古道具・がらくたの間

水桶
江戸時代末期~明治時代に使用。水道がなかった当時、洗顔などのために毎朝井戸水を汲んで各客室に配るのに使われたという。
お膳
明治~昭和期にかけて当館で実際に使用されたもの。漆塗りのお膳それぞれには、当家(湯本家)の三日月の家紋が入れられているほか、ご飯櫃の蓋にも『草津温泉 日新館』の文字が刻まれている。
香炉2点と漆盆
由来、年代等の詳細は不明。漆の盆には牡丹と思われる花と扇が描かれ、『草津温泉 日新館』の銘が入っている。
絵入大皿
由来、年代は不明。底には『九谷製』の文字が記されている。
茶釜
由来、年代は不明。
茶道用茶碗
いずれも産地、年代等不明。右端の陶器は素焼き。
尺八
尺八の詳細は不明だが、置き台には源頼朝から授かったとされる当家(湯本家)の紋(表紋=右・三日月、裏紋=左・片葉の葦)が彫り込まれている。
カメラ3点
大正時代頃、当館の先代が使用していたカメラ。レンズは左から'Tominor'、'C.P.GOERZ BERLIN'、'Mayer Gorlitz' 社製。また左のカメラのボディには 'Royal'、右のボディには 'BALDAX' の刻印がある。
琵琶と鼓
由来、年代等は不明。